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2009年7月

2009年7月31日 (金)

母の家(18)

 暖房いついては色々な種類があり選択が大変です。FFファンヒーターからホットマン、電気を使った蓄熱暖房や基礎のモルタルに温水パイプやヒーターを埋め込んでしまうような蓄熱暖房などなど。長野県ということで、暖房プランに失敗すると膨大なランニングコストが待ち受けています。特にロハスな生活をしていた母にとって、光熱費の高騰は絶対に許すことはできません。でも、高齢で冷え性なことから、暖房はきちんとしないといけません。本当に悩みました。

 一番の候補だったのが、今はやりの深夜電力でレンガに蓄熱するもので、設置コストは比較的安価で、輻射熱を使っていることから高齢者には良い暖房です。しかし、これはQ1住宅の体験宿泊をしたときの経験から、やはり寒いということで却下しました。深夜電力のレンガ蓄熱暖房はやはり局所暖房だと私は思います。家全体を暖めるには家の性能が極力高く、電気容量を大きなものを設置する必要があると思います。得に長野では難しい暖房のように感じました。

2009年7月30日 (木)

母の家(17)

 断熱の次は暖房です。とにかく長野は寒いので暖房費は馬鹿になりません。特に高齢者の場合の暖房は本当に家づくりでの大切な要素となります。以前の母の家の暖房は、豆炭の掘りごたつと、石油ストーブ(FFではありません)の併用で、少なくともも高齢者にとってはかなり危険な暖房と言わざる負えません。それと冬季に結露が激しく、寒いのでそれが凍ってドアや窓が開かないことがしばしばありました。そんなわけで今回は全面的に暖房を見直すことになりました。

2009年7月29日 (水)

母の家(16)

 セルロースファイバー以外の断熱材としてはポリスチレンフォームを床下、基礎断熱に用いました。基礎断熱は内と外がありますが、シロ蟻の問題などもあり(今は寒い長野も油断できないそうです!)内側にしました。また根太間にも断熱材をはめ込みました。さらに、これは母の家で特別に行ってもらったのですが根太の上も55mmの第3種のポリスチレンフォームを床全面に敷き込んでもらいました。とにかく断熱に関しては最善を尽くして計画をしました。(設計段階で床鳴りが心配されましたが、今のところは大丈夫です。今後断熱材が下手ってきた時が心配ですが・・・・!)。

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2009年7月28日 (火)

母の家(15)

 母の家の断熱使用は、天井および壁はセルロースファイバー、特に一階と2階の間にもセルロースファイバーを吹き込んでもらいました。これは、子供たちがどたばたした時の防音と1階の熱が逃げないようにするためです。また、壁の部分は重力で沈下してきますので、かなり天井の上の高い位置まで充填してもらいました。
 通常のグラスウールよりは値段的には高くなりましたが、施工が専門業者ですのでしっかりしていること、殆ど断熱欠損が見られなかったことから、私的にはとても良い断熱材だと思っています。

2009年7月27日 (月)

母の家(14)

 セルロースファイバーは専用の網を張り、その中に専用のブローアーを用いて繊維状の新聞紙を吹き入れます。ファイバー内にはホウ酸が入っており、防虫作用をするようです。吹き込み当日は仕事で見ることができませんでしたが、写真のように壁いっぱいにパンパンに吹き込んでもらいました。一般には透湿シートでやる場合が多いのですが、信濃ビケンさんは通気が良いようにネット状のものを用いていました。

 私は現場に居なかったのでわかりませんが、吹き込んだときの音とセルロースファイバーの埃はすごかったようです。
Photo_3 Photo_4

2009年7月24日 (金)

母の家(13)

 長野市にある信濃ビケンさんにセルロースファイバーを施工していただきました。社長さん自ら訪ねてきてくださり、色々話を聞かせていただきましたし、何よりも知識が豊富で、実績もかなりあることから安心して仕事を任せることができました。

 また、何よりもはじめての方法を採用すると現場にも緊張感があります。特に電気工事関係は神経質になっていました。通常は壁ができる直前の工事になりますが、セルロースファイバーの場合はかなり先行して電気工事が必要です。また、大工さんとの仕事の折り合いもなかなか大変なようでした。それでもうまく連携していただき、大きな問題なくセルロースファイバーを吹き込むことができました。

2009年7月23日 (木)

母の家(12)

 私としてもセルロースファイバーの腐食はとても心配だったので、会社からセルロースファイバーをもらって、家の野外に放置して腐らないかチェックしました。これが以外にも丈夫で、殆ど性能の低下は見られませんでした。今1年以上経過していますが、腐ったり虫が付いたりすることはありません。それほど悪い素材ではないことは確かです。しかし、長期の試験が行われたわけではないので、まだまだこれからの材料かもしれません。
 そんなことで、断熱に関しては、セルロースファイバー専門業者に頼むこととなりました。

2009年7月22日 (水)

母の家(11)

 そこで、母の家もセルロースファイバーはどうかと、妹と母に持ちかけました。しかし、、セルロースファイバーと言っても単に新聞紙ですから、そんなものが断熱に効くとは考えにくいですし、何よりも虫や腐食の問題があるのではないかと心配がありました。私としてもなかなか説得できるほどの知識もありませんでしたし何よりも新しい技術なので本当に良いのか判断ができませんでした。しかし、工務店さんは結構乗る気で、一度やりたかったのだと言い、チャンスがあればやらせてくださいとのこと。他の工務店さんに効いてもかなり性能は良いことなど後押しをしてくれました。そこで、長野県でセルロースファイバーを施工できる2社と連絡を取り、話を聞くことになりました。

2009年7月21日 (火)

母の家(10)

 宿泊体験した中で最も暖かかった家が、セルロースファイバーの充填断熱の家でした。同じ間取りで、同じ構造の家ではないので一概に比較検討をできないのですが、とにかく
暖かかったことは確かです。11月の寒い日でしたが、断熱の性能を評価するために暖房(床下の温水放熱器の暖房でした。)を夜の7時にとめてしまいましたが、一日経っても寒いことはありませんでした。偶然にもその日は霜が降りるほど外は寒く、それにも関わらず暖かいことに大変感動しました。断熱性能だけでなく、たぶん、床下のコンクリートの蓄熱も効いていたのだと思います。ネオマフォームの外張り断熱の家、グラスウール充填断熱のQ1住宅、羊毛充填断熱なども体験しましたが、やはり、セルロースファイバーが一番のように感じました。

2009年7月17日 (金)

母の家(9)

 色々本を読んだり、ネットを調べてみても、混乱するばかりで、まったくどうして良いのかわかりません。そこで、それならば実際に体験しようということになりました。最近の工務店は体験宿泊と言うのをやっています。そこで早速群馬県内の工務店さんと連絡を取り、宿泊体験を実行しました。

 これには子供たちは大喜び(^^♪。ただで宿泊でき、それも新築です。私達もかなり楽しむことができました。あまりしつこい営業もなく、本当に色々なことを教えていただきました。家づくりの基本を学べたのは、このとき回った工務店さんの生の声からであり、本当に感謝しています。

2009年7月16日 (木)

母の家(8)

母の家(8)
 以前の母の家は17年前に建設された家なので、断熱は今から考えるとまったく不十分と言って過言ではありません。母と父の希望で壁は土壁であり、また、窓もシングルのアルミサッシなので、冬の生活は本当に厳しいものがありました。また、室内の生活が、石油ストーブの上にやかん、豆炭のコタツに、さらには室内で薪のお風呂ですから、厳寒期は水蒸気が結露し、それが凍るためドアや窓は開かないといった日々が多々ありました。本当に長野の冬は身に堪えます。母も高齢になり厳しさをひしひしと感じ始めていました。

 母は寒がりでお炬燵をきんきんに暖めないと体から温まらないと言い、薪のお風呂が一番と気に入っていました。そんな生活を新築で維持するわけにもいかず、そうかといってどうしたらよいのかまったくわからない状態でした。

2009年7月15日 (水)

母の家(7)

 断熱には外断熱と内断熱があり、材料としては自然系と人工系があります。どちらを選択し、何を選ぶかは本当に難しい問題です。特に、材料に関しては最近開発されたものがほとんどなので、長期的な評価が不完全のため何が良いのかはまったくわからない状態です。
 母の家は長野県にあるため、断熱は非常に重要となります。今回母の家を担当する工務店さんはパッシブエアーサイクル(PAC)とOMソーラーを得意とした工務店です。妹の家もPACで建設されており、夏場は涼しく、梅雨時期でもからっとしており非常に快適だそうです。しかし、冬の光熱費については若干不満のようです。前にも話しましたように、母の実家は最も厳寒期になると-20℃にもなります。年老いた母には過酷な寒さです。何とか暖かい家だけは実現したいと色々検討をしました。

2009年7月14日 (火)

母の家(6)

 まったく家についての知識が無かったので、まずは勉強です。本屋に行くと山積になっている本があり、それはあまりにも有名な本「いい家がほしい」(著者:松井修三さん)でした。この本の内容は賛否両論あると思いますが、外断熱以外は全て駄目だと、非常に分かり易い切り口で、読者を圧倒するものがありました。特に、「家をすでに建ててしまった人は 読まないでください」というキャッチコピーは特に衝撃的かつ魅力的でした。

 家は住めればいいとしか考えなかった自分にとって、断熱や構造も大切なのだと言うことを教えてくれた本であり、この本をきっかけに徐々に家づくりの勉強を始めることができたので、私としてはお薦めの1冊です。ただし、「いい家がほしい」は非常に偏った内容なので、あまり鵜呑みにすると痛い目に合うような気がします。

2009年7月13日 (月)

母の家(5) 

母の家づくりは間取りから仕様まで妹中心に行われました。さすがに以前自宅を建設したこともあるため順調に話が進みました。しかし、高齢で膝が悪いなどの条件でやはり難しい家づくりには間違いありません。そんな中、話を進めるうちになぜか断熱と暖房方法だけは私が担当になってしまいました。ある意味、長野県での断熱と暖房は家づくりの要です。寒がりの母にとって、今後のことを考えると絶対に失敗することはできない部分です。それに、母の以前の生活は超ロハス生活で、お風呂は薪、一般的な石油ストーブ、光熱費のランニングコストは月1万円以内の生活です。母からはランニングコストは極力安くとの要望! これをどお解決するかは至難の業です。本当に色々悩むことになりました。

2009年7月10日 (金)

母の家(4)

 土地の収用がどんどん近づく中、一番大切な母の許可を得ないまま話を進めてきました。母が気に入らなければいつでも収用に関しては中止してよいと言う条件でやってきましたが、このような状況の中、少しずつですが母親も積極的に土地収用を考えるようになりました。そして、我々も母の終の棲家としての家づくりを積極的にサポートしようとする体制ができてきました。

 今回の新築を前向きに捉え、母親にとっても、子供達の我々にとっても、また、孫たちにとっても、さらには高速道路を反対して亡くなった父にとっても「良かった」思える家づくりを実現する方向へ力強く前進することができました。

2009年7月 9日 (木)

母の家(3)

 家づくりでは母と色々話し合う中で価値観が違うことから、最終的には家を建てたことのない私の出番はなくなりました。家づくりに関しては、自宅を建てた経験のある妹が担当することとなりました。私としても母と何でも話せる妹と、妹の家を担当した工務店との組み合わせは最善であり、遠くより見守りながら家づくりを応援することとなりました。

 土地が決まっても家づくり以外にもやることがいっぱいです。特に宅地を購入したのでこのままでは畑になりません。母の畑で使用していた土をそのまま新しい土地へ入れ替え作業をしなければならず、その費用が莫大なので、土地収用の工事と造成に絡ませて工事のセッティングを行いました。その他に、固定資産税が多額にかからないように、宅地から農地への転用作業、土地収用の段取りと計画、農業用倉庫や外構の手配、庭の植栽の移転作業などなど・・・。

 家づくりとは家以外の色々なことがあるため、そちらのほうも実は結構大変です。土地が決まったので、それでおしまいにはなりませんでした。

2009年7月 8日 (水)

展開図

 その後田村さんから展開図を頂きました。室内展開図は家の中の各部屋について、部屋ごとに室内の4面の壁などを描いてあるものです。これは室内の空間の様子を表現するための図で、壁の仕上げ材の表情まで書き込まれています。天井高や開口部の位置や形状、壁の仕上げ材、壁面に取り付けられた設備や収納なども記入されますので、室内の様子がかなりイメージできます。間取りの次に重要なのはやはり収納だと思います。収納はその家の使い勝手を大きく左右します。特に片付上手出ない人(我が家の?)は収納の検討は非常に重要と考えています。今後は2週間頂き、十分に検討したいと思います。

2009年7月 7日 (火)

さくらの家見学 Part 2

 先週の土曜日はさくらの家の見学と田村さんとの打ち合わせを行いました。さくらの家の見学は2回目で、断熱材(ネオマフォーム)やサッシも既に施工済み、かなり家らしくなっていました。私達の設計もより具体的になってきたため、見学にもより力が入ります。施主さんが行っている塗装を農業用倉庫まで押し掛けて見せてもらったり、塗料の匂いを嗅がせてもらったり、横滑りだし窓を操作したり、屋根勾配のチェックをしたりなど、実物でないとわからない部分をチェックさせていただきました。施主さん本当にありがとうございましたm(__)m。また、見学の人もほんとうに真剣に田村さんに話を聞いており、私達もがんばらなければと再認識しました。

2009年7月 6日 (月)

母の家(2)

 私には当初新築に対する母の気持ちはまったくわかりませんでした。しかし、母の家づくりを見守るうちに色々なことが見えてきました。母にとって今回の移築は自分の意思ではないため、何よりも現状維持が大切であり、父の過ごした生活を守りたいとの希望が強いこと。また、小さな家にしてしまうと子供達が来たときに不自由するので、子供とその家族が来る分の部屋は必ず確保したいと考えていること。などなど、気持ちの部分がとても大きいことがわかりました。

2009年7月 3日 (金)

母の家(1)

 新築は高速道路の建設のための移転で、高速建設を反対していた母にとっては、心待ちの新築とは程遠いものがありました。また、母は高齢であり新築はかなりの精神的および肉体的負担になっていることは間違いありません。さらに、子供が遠方にいるため、十分な話し合いができず、非常に困難を伴う新築となりました。

 私としては遠く離れた所から新築を計画するのでハウスメーカーが安心できるのではないか、また高齢を考えると「小さな平屋の家」が良いのではと提案しました。(ル・コルビュジエの「小さな家」のはわずか18坪の母の家、そんなイメージででした。)しかし、それに対しては真っ向からの反対で、家は地元の工務店が良く、家についても住んでいた家と同じ規模の家が欲しいとの事。まったく話し合いにもなりませんでした。あの手この手で説得してみたものの、母の決心は変りませんでした。

2009年7月 2日 (木)

土地探し(6)

 そのため分譲して売り出すこともできないため、売れ残ってしまったという訳です。本当にラッキーだと思います。たった2cmですが、それが幸いしたこととなります。我々には母の家一軒および畑ですので、公道に2m接道していれば良いので何の支障もありませんでした。

 その後竿に接している土地も交渉して購入することができました。そのため今後母の家以外にも家を建設することが可能となり、当初よりはかなり好条件の土地の購入となりました。急展開で土地探しにピリオドを打つことができました。土地探しは良く運だと言いますが、本当にそのことを実感しました。粘り強く待つことが大切であり、この教訓ま私達の土地購入でも生かされることになりました。

2009年7月 1日 (水)

土地探し(5)

 不思議なのはこのような条件の土地がなぜに競売しても売れ残っていたかです。それは道への接道が4mに2cm足りなかったことにあります。購入しようとする土地は道より少し中に入っており、俗に言う旗竿地になっています。旗の部分は非常に大きいく、竿の部分は短いのですが、これが4mないので中に複数の家を建てることができないのです。すなわち、竿の部分が2cm足りないので位置指定道路になることができないのです。

 位置指定道路とは建築基準法上の道路がない未開発地、または、大きな敷地を細分化して利用する場合などには、新たに道路を築造しなければ、建築物の敷地として利用できない場合があります。このような場合には、その道路境界を明確にする意味で、建築基準法による「道路位置指定」の申請書を提出して、道路として位置指定を受けます。「道路位置指定」を受けるには幅員が4m以上であることが条件であり、各都道府県や市町村(特定行政庁)の技術基準が定められています。

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